対面レッスンの帰り、以前から気になっていたトンカツのチェーン店に初めて行ってみました。
12時ちょっと前に着くと、店にはアジア系外国人の店員さんが一人と、厨房にあと一人のスタッフ。
店員さんは、マニュアルどおりの淡々とした手さばきで、配膳から会計まで一人で行っていました。
一人で切り盛りかぁ。。
やがてランチタイムで、次々とお客さんがご来店し、ほぼ満席に。
オーダーした後で店の状況を悟った私たちに、妙な一体感が流れました。
食事が来ない苛立ちというよりも、あきらめというような何だか無機質な雰囲気です。
加えて、私は申し訳ない気持ちになりました。
これだけたくさんの日本人の客に対して、おそらくアルバイトの外国人の店員さん一人でフロアをやっている。。
しかも店員さんには心が見えません。焦りや憤りの感情さえも。
あくまでお金のため、生活のために、決められた作業を淡々とこなしている、そんな印象でした。
やがて、一足早く注文した私のところに、カツ丼が届きました。
確かに味は美味しかったです。値段もお手頃でした。
お腹もいっぱいになりました。
でも、心はいっぱいにならなかったなぁ。。
人手不足だから仕方ないと思うけど、外国の人一人にフロアを任せざるを得ないお店。
彼の日本語はとても流暢で仕事もちゃんとしていたけど‥。
んー、やっぱり、サービスを提供する側と、サービスを受ける側の関係って、お金のやり取りだけじゃなくて、言葉のやり取りも必要な気がします。
「日本語を言う」じゃなくて、「日本語で気持ちを言う」が必要かと。
「いらっしゃいませ!」とかの元気な声や、いや、不満のようなマイナスの感情でもせめて店員さんが表してくれたら、「美味しかったね」とか「スタッフの対応がよくなるといいのにね」とか、客の方にも何かしらその店に対する気持ちが出てくるのかなと思うのですが。
食べ終わった私が店を出た時の気持ちは、「無」でした。何しにここ来たんだっけ?みたいな。
今の社会の現状を垣間見たようなシーンでした。
日本語を教える仕事をしている私も、単なる「日本語」ではなくて、「日本語のコミュニケーション」を教えられるよう、心がけないといけないなぁ、と思いました。
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